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どうも皆さん、はりおうです。
今回は、山本寛斎について紹介させて頂きます。
【山本寛斎(やまもと かんさい)とは】
山本寛斎は、1944年2月8日生まれである 。
本名は「かんさい」ではなく「のぶよし」と読む。
ファッションデザイナーや、イベントプロデューサーを務める。
太田プロダクション所属しており、寛斎スーパースタジオ会長である。
通名で、やまもと寛斎と表記することもある。
■ファッションに興味を持ったきっかけ
映画『太陽がいっぱい』の劇中でのファッションセンスに惹かれたのが、ファッションに興味を抱くきっかけである。
■ブランドを立ち上げるまで
山本氏は、大学進学のため上京する。
そこで、横浜で洋裁教室をしていた実母と再会し、ここで装苑賞の存在を知り応募する。
装苑賞(そうえんしょう)とは
装苑賞(そうえんしょう)は、新人デザイナーを対象とした公募のファッションコンテスト。1956年、女性向けファッション雑誌「装苑」創刊20周年を記念し、創設された。歴史が古く、現在では新人デザイナーの登龍門といわれ、これまでにコシノジュンコ、高田賢三、山本寛斎、山本耀司など数多くの著名デザイナーを輩出している。
出典:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%85%E8%8B%91%E8%B3%9E
その後コシノジュンコや、細野久などのデザイナーの下で働き、1971年に独立して株式会社「やまもと寛斎」を設立。
同年、ロンドンで日本人初となるコレクション 『Kansai in London』を実施するという偉業を成し遂げた。
1973年には、デビッド・ボウイのステージ衣装も手がけた。
今回は、山本 寛斎を紹介させていただきました。
また、次回もお楽しみに!ではでは!
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